死に損ね4年目

推しAと推しBがほぼ同時に燃えて一年経った。

私は病み、推しを変え、仕事を変え、カラオケのレパートリーを失った。

意外と生きていけているなとは思う。けれどそれは依存先が推しA、Bの他にもたくさんあったからだ。ここにどっぷりだったらいよいよおしまいだった。

私は常日頃推しAが死んだら私も死ぬと公言してきた。私の好きだった推しAはとっくに死んでいたのに。その傾向に4年前に気づいていたのに、無視し続けていた。信者ビジネスとは、いかに信者に裏を悟らせず盲目のままで維持できるかに尽きるのだと身に染みて感じた。

推しAは自分に"そういう"人間性の欠落があることを日頃インタビューなどで仄めかしていた。だからか報道を聞いてショックを受けたものの妙に腑に落ちたような感覚もあった。少なくとも社会不適合的な自分自身について自覚的であったということ、それを表に出していたことで不誠実さはやんわりと紛らわされていたように思う。

推しBはその点、本当にどうしようもないなと思う。

誠実さとは嘘をつかないとかそういうことではなく、いかに周りに知られたくない自分自身の一面を隠し通せるかだと思う。それが名の知れた人であるならば尚更だ。

だから隠すことをそもそも諦めていたような推しAは不誠実ではあるがほんの少しだけ誠実で、そんな素振りをおくびにも出さなかったくせに隠し通せなかった推しBはとんでとない不誠実な人間だということになってしまうわけだ。

推しBに酷い目に遭わされた(これは被害者側、加害者側どちらの言い分も私にはよくわからないので、そう主張しているという事実として考える)と申し出た人々のなんと多いことか。7人はいた。登場人物が多すぎて出来の悪い夢小説みたいだった。

 

報道を知って、傷ついた人たちがいることを知ってまで、私は盲目でいられなかった。

推しAにも推しBにもほとほと呆れたし、悲しくなった。このまま盲目的にこの人間たちを許して応援していくオタクがいることにも腹が立って、グッズは売らずに全てゴミに出してしまった。

10年推した分の意地だったのだと思う。

 

推しが加害者になっても、私たちは推しに勝手に傷ついているだけで直接傷つけられているわけではない。それが妙に物悲しい人は居ると思う。推しを推してきた思い出を大事に……とか、そういう次元に至る前にオタクにはそこまでの資格がないことを思い知り空虚な気持ちになる。

これに関して認知の有無はあまり関係ないんじゃ無いかなと思う。

今の私の推しは私を認知してくれている、というか個別で誕生日を祝ってくれたりするくらいの関係ではあるが、万が一同じようなことが起きても私の感情の機敏はきっと変わらない。ブロマイドを破り、推しの名前が入ったグッズを捨てる。

 

私はこれを書きながらちょっと好きかも、と思ったYouTuberや役者も悉く人間性が終わっているために告発されたり、逮捕されたりしていることを思い出した。

単純に見る目が無いようなので、もう男性を推すのはやめておこう、と思う。