怖い絵展に行ってきた

「雨だしゲーセン空いてるだろ」の音ゲーマー理論に基づいて前々から気になっていた怖い絵展に行ってきた。これは後で気づいた事だが、雨の日の美術館は混むのだった。

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音声ガイドは次に来る時にしよう、と思ってスルーした。同行する友人がいた事、チケットを買う列が既に長めだった事が理由だ。吉田羊は好きなので、今度一人でゆったりと見られる時に借りようと思う。

しかし人が多かった。月曜の午前中にもかかわらず。怖い絵展は注釈を読みつつ観賞してナンボなので人のごった返す中だと身長の低い私には厳しい場面が何箇所かあった。スタッフの「立ち止まらずにお進みください」の声が響く美術館は初めてで、中々新鮮でもあった。

立ち止まるな、とは言われつつも魔力を持つような魅力的な「絵」には逆らえない。私はモッサの描いた飽食のセイレーンという作品の前で身動きが取れなくなった。隣にはもう一つドレイパーの描いたオデュッセウスとセイレーンという絵があって、友人は嬉しそうに(目当てだったらしい)それを眺めていたし多くの人はサイズの大きいそちらをまじまじと見つめていた。勿論そちらのセイレーンも美しく、その美しさが怖さを引き立てるような、そんな絵だった。しかしその隣のセイレーンは一目でわかる「恐さ」を放っていた。見透かされるような瞳。口の端や翼に付いた血痕。大きな鉤爪。ドレイパーのセイレーンが美しさから来る怖さなら、モッサのセイレーンは恐ろしさから来る美しさ、だと思う。

気づくと私はミュージアムショップで飽食のセイレーンのポストカードを手に取っていた。

ポストカードの写真を載せようかとも思ったがやめた。是非飽食のセイレーンを生で見てほしい。本当に恐い。そしてその恐ろしさに取り憑かれてほしい。

ポストカードの写真を載せなかった代わりに、最後に新宿で食べた芋を載せて締めたいと思う。

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